人生の転機

日々の事や過去の大きな出来事を綴っていきます。

裁判

実に久々の更新となった。

決して「おつとめ」に行っていたわけではなく、釈放までを記したところで少し疲れてしまったというのが事実だ。

現時点で裁判はもちろんすべて終了しているが、執行猶予中ではある。

再犯はもちろんしていないので、あと10ヶ月ほど何もなければ刑罰権はなくなる。

 

さて、裁判のことであるが、もはや2年以上前のことであるのでほとんど覚えていない。したがって、今回のブログでまとめて振り返るとする。

 

【初公判】

釈放され、2ヶ月後くらいに開かれた。

正味10分くらいの本当に形式通りのものであった。

凄く恐れていた「被害者」側の傍聴はなく(弁護士らしき人物はいたが)少しほっとした。

被告人質問の際には検事のネチネチとした質問にイラつきつつも、供述の段階からぶれない回答をした。

さて、ここで予想外の展開となった。

なんと3回目の公判時に「被害者」側のトップを証人として出廷させることとなった。これは「被害者側がその部分の管理をおろそかにしていたのでは?」という妙な展開になったからだ。たとえ先方に落ち度があったとしても悪いのは私だしそのことで刑が軽くなる訳でもない。つまり本来は呼ばなくてもいいのだが、こちらの弁護士が妙にエキサイトしており何かを問い詰めたいらしい。私としては正直、顔を会わせたくないと言うか申し訳ない気持ちもあるので出来ればそうなることを回避して欲しいが無理そうだ。

そして、その日が来て、開廷中私はなるべく先方と目が合わないようにしていたが、こちらの弁護士による「被害者」側への追及が始まった。別にそんなことしなくてもいいのに・・・どうやらうちの弁護士は相手の言動に対し腹を立てているようだった。

結局、私の供述内容の「補完」をするような証人尋問となった。ただ「被害者」側のお粗末な管理方法については裁判官も認めたようで、そこは少し溜飲が下がった気分であった。

そして、判決日、予想通り執行猶予がついた。この日から2週間以内に上告しなければ刑が確定し3年間なにもなけれ刑罰権は消滅する。

私もそうするつもりであった。ここでなにしようが覆るものでもないし、減刑にもならない。とこころがうちの弁護士は「お金はもらわなくいい」と言い、なんと最終的には最高裁まで持ち込まれた。もちろん結果は、上告却下であり、ただ単に執行猶予の終わる日が半年ほど伸びただけだった。

まさかの最高裁。小さい事件と言ってはなんだが、チロルチョコ1個を盗んで最高裁まで戦うようなものだ。高裁、最高裁と出廷義務はなく、あくまで書類上で判断するようであるが、最高裁の裁判官の方々お時間を取らせてしまいすみませんでした。最高裁まで行くなんて、どんだけ重罪人だよと思った。

2年前の12月に確定したので、今年の12月までが執行猶予期間だ。釈放後1週間で新しい職を見つけ、辞め(笑)、今はまた他の仕事をしているが執行猶予であることで特に支障は出ていない。

よい経験とは言ってはいけないが、逮捕・留置・取り調べ・裁判などはそう簡単に経験できることではない。もう二度とごめんだ。

 

その後、何度か地裁に他の裁判を傍聴しに行ったことがある。興味本位もあったが、あの緊張感を忘れないためだ。被害者がいて加害者がいる。そしてその人たちに関わる、家族や会社の人間もいる。事件が起きて誰もハッピーにはならない。

 

もう二度と悪いことはしない。

釈放

今日は満期日。23日間、この檻にいたことになる。前日に刑務官から「明日だよ」などと言われず、自動的に最終日を迎えた。出られるのはわかっているが、問題はその時間だ。検事がちんたらしていたら、最悪夕食後になることもあるという。朝食を食べ、運動し、点呼をされ、官本の小説を読んでいた午前10時ごろ「7番、釈放」と前触れもなく刑務官から言われる。驚きとともに、ようやくかというのが正直な感想だ、同室の28番君と握手をし、両隣の檻の仲間にも挨拶して「留置場」のエリアから、手錠も腰縄もなく出た。すぐ横の部屋にいくと、逮捕日に着ていた衣服や荷物類が置いてあった。刑務官が立ち会ったが「何を食べたいのか?」などとてもフレンドリーだった。前にも記したが、この新日本警察の留置場刑務官はみな物腰のやわらかい人たちで個人的に悪感情を抱いている人は一人もいなかった。でも、もう二度と会いたくない人たちではある。再犯をしない、という意味で。

逮捕時の洋服を着て釈放されるというのも何か身につまされるものがあったが、それはしょうがない。留置場のフロアから警察の一般フロアに降りると猪木刑事がいた。「長かったね」と苦笑い。刑事としてもこんなに長くいるとは思わなかったそうだ。雑談を少しして、刑事が名刺をくれた。「何かあれば・・・」とのことだったが、この刑事にももうお世話にならないように生きていこうと思った。できれば、新日本警察にも来ないことが・・・と思っていたが、1年後に免許の更新で訪れたのは仕方がないことだ。

さて、晴れて自由の身となりまずは弁護士に電話連絡を入れた。満期なので弁護士に対しては「おかげさまで」とはならないが、今後は裁判でお世話になるので一応、礼は言っておいた。時間は午前11時。新日本警察から自宅へ戻るには電車・バスを乗り継ぐのだが、何故か徒歩で帰ってみようとなった。回転すしでも食べようかなとかこってり中華にしようかと考えながら進むが、いざ自由の身となるととにかく自宅に帰りたい欲求にかられた。途中、よくわからないメーカーのグレープサイダーを飲んだのが久しぶりの娑婆の味だ。とても失敗した。結局、何かを買うこともなく家まで1時間ほど歩いた。不思議と空腹感はなく、まずは風呂に入った。どんなことを考えながらかは覚えていないが、のんびりと自分の意思で入浴できるというだけでとてもうれしかったのは覚えている。

時間は14時くらい、何かを食べた気がするがあまり覚えていない。食は細くなったようだ。特になにをすることもなく、ただただ自由な時間を過ごし、夕方になったのである人に会いに行くこととした。妻ではない、大好きな人に。彼女とは毎日ラインをしていたので突然の音信普通に不安を覚えていることは間違いない。釈放後に見たラインに毎日心配しているというメッセージがあったからだ。1週間も経つと、とにかく生きていてほしいという内容に変化してきていた。さらに経つと、おはようとか行ってきますなど、平静を保とうとしていることが強く感じられた。

夕方・・・彼女の通勤経路で待つ。しばらくして、彼女が帰ってきた。私の顔を見るなり号泣。「死んじゃったかと思ってた・・・」と言われ、本当に申し訳なく思った。帰るときに、ラインが既読になったのでなんでだろうとは思っていたらしいが、突然のことで色んな感情が混ざり合ってしまったのだろう。ごめんね・・・。

 

検察庁④

満期は来週の火曜日。前週の木曜日に再度、検事に呼ばれた。いったい、これ以上何を聞くことがあるのか?とはいえ、結果次第では今日の釈放もなくはない。これ以上取り調べもないわけで、であれば満期まで勾留している必要性は全くないからだ。

取り調べ中に言われたのは、釈放されたあともここに来てもらうこととなりますが、大丈夫か?ということ。まだ聞くんかい!という感じ。どうやら、被害者側の気持ちが変化しており、厳しい処罰感情を抱いているそうだ。検事自身も被害者側から直接聞き取りもしているのでいろんなことを聞いたと思うが、処罰感情が変わった原因はわからないという。おそらく相手の弁護士のアドバイスだと私は思っている。見せしめにしよう、くらいの弁護士の意見があったのかもしれない。今後の抑制のために。

検事としても、相手がそういう意向であるので不起訴や起訴猶予という、いわゆる無実系にはできないのだなとも思った。私としては、相手のそのような感情を聞いたとき、正直がっくりきた。手紙での謝罪や被害弁済もしたが、ダメであったかという部分でだ。だが、起訴は免れないとしてもどうやら拘置所行きはなさそうだ。検事の都合に合わせて検察に来れるか?という質問があったからだ。その時点で無職であったので、もちろん来れると答える。だが、当日釈放はなかった。こうなると満期は確実だ。

検察庁③

逮捕→送検→勾留→勾留延長と、お決まりのコースをたどっている。送検後10日以内の勾留となるので、逮捕日から言うとあと4,5日はここにいるのはほぼ確定だ。次のイベントは10日の勾留が切れる前に再度検事から呼び出しがあり、その後の勾留されるか否かだが、単純事件ではあるがそこにはやや私怨というのもが絡んでいるため簡単には釈放されないのであろう。供述の段階で私がそのようなことを言ったがために余計なことになってしまった。検事は、今釈放させると被害届を出された逆恨みで被害者に対し逆襲をするのではないかと恐れているのかもしれない。そうすれば釈放を命じた自分のせいでなってしまう。恨みなどがある事件は基本的に満期勾留をし疲弊させ、起訴後も拘置所に入れることで二次被害を防いでいるのではないかとも考えてしまう。

3回目の検事取り調べまでに、弁護士のアドバイスで謝罪文も書き、請求された被害額もすぐに振り込んでもらった。刑事からも「厳しい処罰感情はない」と聞いていたので、1回目の10日勾留延長で釈放になるだろうと、私も弁護士も踏んでいた。検事の取り調べでも、私は涙し心底反省している態度も見せたし、事件を起こした動機についてもある程度検事からも理解を得たと思っていた。しかし、結果は再度10日間の勾留となった。これが一番堪えたかもしれない。こうなると示談とかにならない限り満期勾留の可能性が出てきた。1月1日に逮捕されたとなると、1月22日か23日まで勾留されることとなる。3週間以上である。社会人がこれだけの期間、世間から途絶されるとなると以前の環境と全く同じに過ごすことは不可能である。無職の一人暮らしであればもしかしたら誰にも知られずやり直すことができるかもしれないが、私の場合はそれは無理だし、後日面会に来た職場の人に辞職も伝えた。ここから生き地獄のような環境で、10日間過ごすことはますます社会復帰を妨げる以外のなにものでもないと思われる。受刑者の再犯率が高いのもうなずける。

さて、検事の調書に触れてみたいと思う。刑事のそれとほぼ同じようなプロセスで作成されるのであるが、決定的に違うところは検事が読み上げた文章を事務官が入力するところだ。刑事は自分で入力するので不慣れな人はとんでもなく時間がかかる。その点事務官は一応プロであるので入力自体は早いが、検事が考えながら文章を読み上げるので時間がかかる。出来上がった調書を再度読み上げ、訂正箇所などあれば、また入力となるのだ。刑事の供述調書と合わせ、裁判の際には有力な証言となってしまうので不利な言動は極力削除してほしいのであるが、その場にいると言いなりになっていたほうが検事の心象がよいという謎の考えで支配されていたのでその時は何も考えず指印を押した。

すべては起訴し、有罪に持っていきたいための証拠類だ。一度指印を押したものの訂正などは一切できない。釈放後にいろいろと調べると、指印は押してはいけないことや弁護士を立ち会わせるなどの記述があったが、実際にあの場面でそれを主張することは無理である。司法の世界では弱者と強者の関係は明確であり、弱者にとって武器はなにもない。ただひたすら真摯な態度を見せるだけなのだ。

検察庁②

今となっては逮捕何日目は忘れてしまったが、おそらく8日目か9日目だったと思う。

地検に呼ばれる時が来た。

前回というか、新件の時は事件のことは掘り下げず、概略を検事が言い、それに対してすべて認めたところで終了した。

延長勾留になるかならないかは今日が勝負だ。

事件に対しての動機も含め自分の中では整理済みであり、反省の態度やセリフも織り込んだ流れも頭に叩き込んだ。とにかく、すべて認めているわけだし、反省もするし、被害金額も弁償すると言ってるのだから、これ以上勾留されるはずはないと思い、いざ戦いに挑んだ。

戦う前の恒例である数珠繋ぎ行進や臀部板攻めにも耐え、検事に呼ばれた。逮捕初日に記入した「弁解録取書」の内容から1ミリもぶれていないし、警察での供述調書とも整合性があり、また反省の態度も見せ謝罪もし、二度とこのようなことはしないとも誓った。1時間はゆうに超えたと思う。

結論「もう少し聞きたいことあるから、また来てもらいます」。

 

え、それってつまり勾留延長?釈放され、地検呼び出しというニュアンスには聞こえなかった。同行室に戻り、かすかな希望を抱く。署に戻ったら釈放かも、などと。

結論「7番、勾留延長」。逃亡、証拠隠滅の恐れがあるそうだ。逃亡は可能性があるとしても、証拠隠滅って。この事件に関しての、一番の物的証拠は警察に提出済みだし、これ以上何もない。関係者に接触してもその事実は翻ることもないので、証拠隠滅という理由は定型文に過ぎない。とにかく、釈放させたくないだけなのだ。仮に、釈放したとすると、検事としては私一個人に連絡をしなければならず、日程も調整しなければならない。これが勾留しているのであれば、署へ連絡するだけ。確実に私は検事の指定された日に向かい合うこととなる。要は手間や効率の話なのだ。それだけのために、勾留延長というシステムはあるのだと思う。

勾留中に弁護士もずっと言ってたが「こんな事件で満期はおろか、勾留延長すら普通はない」とのこと。すべては検事の気持ちひとつだそうだ。

私の担当検事・・・羽鳥アナに似た検事。はずれもはずれ、大はずれだ。

署内での取り調べ

逮捕6日目か7日目だろうか、何もない日であったが、突然取り調べと刑務官に告げられた。逮捕初日以降、初めての署内での取り調べである。供述調書により細かく記述していくためのものであるが、こちらとしては全面降伏しているので猪木とのバトルもなく、むしろ私が余計なことまでしゃべったときに「それはいいよ」と記録しないなど、非常に友好的な関係であったと思う。難しい言い回しなども協力して文章を考え「あ、それでいこう」など、ねつ造とまでは言わないが、割と私にとって有利な供述調書になったのではとその時は考えていたところ、後日弁護士さんに「こんな余計なことを」と指摘される部分も多々あった。そこはやはり刑事のテクニックで、そのような言質をこっちは言っていないのにさも言ったかのような調書になっていた。作っている場ではそんなところまでは気が回らない。とにかく、猪木達に悪い印象を与えてはならないという一心で全面的に協力をしていたのだが、向こうは百戦錬磨、してやられた。調書に記述してある以上、後の裁判などではそんなこと言ってないと反論しても認められない。

そうはいっても、そこは刑事の職務である以上仕方ないことであるし恨んでもいない。聞いたことも真摯に答えてもらったし、釈放の日も社交辞令かもしれないが何かあれば相談してと名刺を渡された。おかげさまで相談に至ることは現時点でないが、担当刑事という点では当たりの部類であろう。

この日の取り調べの中で私が知りたかったことがある。相手の処罰感情だ。これが勾留延長や起訴・不起訴に大きくかかわってくる。「とことん罰してください!」と思っていたら起訴はまぬがれないし、「認めているのであれば穏便に」であれば検事の考えもあるが不起訴や延長なく釈放もある。で、私の場合であるが「穏便に」とまではいかないが、「そんなに怒ってはいない」との猪木からの回答だ。それを聞いたとき、ものすごくホッとしたのを覚えている。自分の身のこともあるが、迷惑をかけてしまったのにそういう考えをもってくれて申し訳ないとも思った。いつの日か・・・直接謝罪したいな、とも考えていた。取り調べは3時間ほどかかったであろうか、動機や反省も含めた調書は出来上がった。検事はこの調書をもとに取り調べ、勾留延長や起訴・不起訴を決定するのである。

檻に戻った私は、これは延長なく釈放されるかもとウキウキしていた。すべては検事との対決次第!決戦に向け、緊張は高まる。

なお、弁護士からは「とにかくあやまって、反省の態度をみせること」とアドバイスをもらっていた。悲壮感を漂わせるのは、私は「かまってちゃん」なので得意だ。

勾留中の様々な欲求

23日間にも拘留されると、様々な欲求が当然ながら芽生える。

まずは食欲だ。

逮捕前は74㎏だった体重は、釈放後71kgになった。もっと落ちるかと思っていたが3週間ならそんなとこなのだろう。同室の人達とは当然、出たら何を食べるか?というのがお決まりのトークになるが、当初考えていたのは寿司だ。釈放される時間にもよるが、午前中だったら帰宅途中で回転寿司に寄るとか、とにかくジャンクなものを食べるとか言っていた。留置場の食事はカロリー的には足りているのかもしれないが、主に揚げ物系からの摂取となるのでどうしても満足度は満たされない。せめて麦飯食べ放題くらいあればいいのだが、自由な時間に自分で好きなものを選んで食べられるという行為がどれだけ幸せなことなのかというのを痛切に感じた。

次の欲求は自由に好きなところに行くというのものだ。留置場では自分の意志で檻からでることはもちろん、ちょっとコンビニとか気分転換に散歩することも無理だ。基本は6畳ほどの部屋で過ごすことしかできない。地検と地裁は苦行であるが、外出するという点においては檻にいるよりはまだいい。今では休みの日など、家から一歩も出ないこともあるが、出ないということも自分の意志であるのでストレスは溜まらない。何より、日々の行動スケジュールが自本で決められないということがこれだけ苦痛であるとは思いもしなかった。

さて、最後は皆さんお待ちかね(?)の性欲である。正直に言うと、逮捕後1週間はそっち系の欲は全くなく・・・というより脳がそんなことを考えてる場合ではないだろうと自制をかけていたのだと思う。しかし1週間を過ぎるころから、環境にもなれ少し心に余裕が出てくると体もそのモードになるようだ。もっと正直に言うと、私は23日間で4回自分でした。3回はトイレ、1回は布団でだ。しやすいのは就寝後のトイレであり、洋式だったことで便座に座りすることができた。便座に座ればそこはプライバシーの配慮で刑務官からも見えない。後始末もトイレに流してしまえばいいのでおそらくするにはベストなところであろうし、刑務官もなんとなくわかっていても「貴様!何してる!」等とはならないであろう。布団でした時は横向きになり、あらかじめチリ紙を多めにキープしておき最後は紙の上に出すという方法だ。紙はトイレ時にでも流せばよい。留置場内に監視カメラはないとい言われているが、絶対ピンホールカメラみたいなものはあると思う。私のあんな姿を見られたかもしれないが、人間、欲求には勝てないのである。