人生の転機

日々の事や過去の大きな出来事を綴っていきます。

釈放

今日は満期日。23日間、この檻にいたことになる。前日に刑務官から「明日だよ」などと言われず、自動的に最終日を迎えた。出られるのはわかっているが、問題はその時間だ。検事がちんたらしていたら、最悪夕食後になることもあるという。朝食を食べ、運動し、点呼をされ、官本の小説を読んでいた午前10時ごろ「7番、釈放」と前触れもなく刑務官から言われる。驚きとともに、ようやくかというのが正直な感想だ、同室の28番君と握手をし、両隣の檻の仲間にも挨拶して「留置場」のエリアから、手錠も腰縄もなく出た。すぐ横の部屋にいくと、逮捕日に着ていた衣服や荷物類が置いてあった。刑務官が立ち会ったが「何を食べたいのか?」などとてもフレンドリーだった。前にも記したが、この新日本警察の留置場刑務官はみな物腰のやわらかい人たちで個人的に悪感情を抱いている人は一人もいなかった。でも、もう二度と会いたくない人たちではある。再犯をしない、という意味で。

逮捕時の洋服を着て釈放されるというのも何か身につまされるものがあったが、それはしょうがない。留置場のフロアから警察の一般フロアに降りると猪木刑事がいた。「長かったね」と苦笑い。刑事としてもこんなに長くいるとは思わなかったそうだ。雑談を少しして、刑事が名刺をくれた。「何かあれば・・・」とのことだったが、この刑事にももうお世話にならないように生きていこうと思った。できれば、新日本警察にも来ないことが・・・と思っていたが、1年後に免許の更新で訪れたのは仕方がないことだ。

さて、晴れて自由の身となりまずは弁護士に電話連絡を入れた。満期なので弁護士に対しては「おかげさまで」とはならないが、今後は裁判でお世話になるので一応、礼は言っておいた。時間は午前11時。新日本警察から自宅へ戻るには電車・バスを乗り継ぐのだが、何故か徒歩で帰ってみようとなった。回転すしでも食べようかなとかこってり中華にしようかと考えながら進むが、いざ自由の身となるととにかく自宅に帰りたい欲求にかられた。途中、よくわからないメーカーのグレープサイダーを飲んだのが久しぶりの娑婆の味だ。とても失敗した。結局、何かを買うこともなく家まで1時間ほど歩いた。不思議と空腹感はなく、まずは風呂に入った。どんなことを考えながらかは覚えていないが、のんびりと自分の意思で入浴できるというだけでとてもうれしかったのは覚えている。

時間は14時くらい、何かを食べた気がするがあまり覚えていない。食は細くなったようだ。特になにをすることもなく、ただただ自由な時間を過ごし、夕方になったのである人に会いに行くこととした。妻ではない、大好きな人に。彼女とは毎日ラインをしていたので突然の音信普通に不安を覚えていることは間違いない。釈放後に見たラインに毎日心配しているというメッセージがあったからだ。1週間も経つと、とにかく生きていてほしいという内容に変化してきていた。さらに経つと、おはようとか行ってきますなど、平静を保とうとしていることが強く感じられた。

夕方・・・彼女の通勤経路で待つ。しばらくして、彼女が帰ってきた。私の顔を見るなり号泣。「死んじゃったかと思ってた・・・」と言われ、本当に申し訳なく思った。帰るときに、ラインが既読になったのでなんでだろうとは思っていたらしいが、突然のことで色んな感情が混ざり合ってしまったのだろう。ごめんね・・・。