人生の転機

日々の事や過去の大きな出来事を綴っていきます。

裁判所①

逮捕4日目。

一般的に勾留質問と呼ばれる、裁判所でのイベントがある日だ。

1日の流れとしては、前日の検事取り調べと相違はほぼない。

朝食後に集められ、地検に行く人と同乗してまずは全員が同行室へ連行。

裁判所へ行く人はまとめられ、一旦檻に入れられる。

30分しないうちに、今度は裁判所へ移動となる。

当然、手錠・数珠つなぎで、再度車に乗る。

地検から裁判所まで歩いて5分くらいなのだが、さすがにそんな行列させられないので、短距離だが車移動だ。

 

裁判所に着くと地下駐車場に車は停まり、裁判所の同行室へ連行される。

この日は10人程。説明によると、検事取り調べ同様、一人づつ呼ばれ順番はわからん。私語厳禁。全員終わるまで同行室で待機という例の掟だ。

裁判所に到着したのが10時ごろ。帰りは警察署直ではなく、また地検で合流後に警察に戻るとのことだ。効率を求めたからであろうが、もはやモノ扱いだ。

 

さて、裁判官に呼ばれるまでは「全部話しています」「二度としません」「反省してます」をキーワードに、従順な自分をアピールするセリフを考えることとした。いつ呼ばれるかは不明であるため到着後より全力で思考するが、昼食タイム(地検と同様、食パンランチ)になったので一旦検討を中止する。食パンにジャム類を塗ろうとしたときに呼ばれる。「え~、何このタイミング~」という感じ。

呼ばれた所はいわゆる法廷のような造りではなく、検事室のような部屋。でかい机の奥にとっちゃん坊やのような小さい若めの裁判官。90度右に秘書らしき女性が座っている。さて、聞かれたことと言えば「~の件に関して認めますか?」だけ。当然「はい」。そこで、熱く弁明できるような雰囲気や時間はなく、このまま勾留するかどうかはのちほど知らせるということと、もし勾留となったらどこか1件だけ連絡をしてあげるとのこと。ただし、この場で誰かということと電話番号を伝えなければならない。

私は両親とは離れて暮らしており、疎遠とまでは言わないが日常的にガンガン電話をするタイプでもなく、さらに電話番号も覚えているとは言い難い状況であった。だが、記憶になんとなくある電話番号と相手は両親であることを裁判官に伝えた。ここで妻の番号を覚えていたとしても選択はしなかったであろう。この状況は何となく知っているであろうが、助けなどを求めることはしたくなかった。さらに妻から私の両親に連絡をする確率もほぼゼロであるため、ここは両親への連絡希望の一択だ。連絡はこの場でしてもらえるのではなく、勾留決定したら留置場の刑務官からされるとのこと。そんな電話が両親が受けたらと想像すると申し訳ない気分にいっぱいになった。

15時ごろ、全員の審判は終了し地検の同行室に戻る。ほどなくして刑務官が檻の前に立ち、裁判所組がひとりひとり呼ばれ、紙を見ながらごにょごにょ話をしている。基本は「勾留決定」「証拠隠滅」「逃亡のおそれ」の3点セットを伝えられているようだ。私も呼ばれ、はかない夢は消えうせ、3点セットのお言葉いただく。

予想はしていたが、お泊り延長だ。だが、今日で帰宅できるかも・・・と考えていたのも事実である。それなりに落胆はした。

 

新日本警察署に戻り、5番さんに報告。慰められると同時に、お願いしていた弁護士の件について話す。実は逮捕2日目の段階で「早く出たければ国選より私選」と教えられていたので、5番さんと同じ弁護士さんをお願いしようと思っていたのだが、送検までに会えず、なおかつどうやら風邪をひいているとのことで、しばらく無理そうとのこと。

さて、これで最低でもあと9日はここにいることとなった。今後考えられるパターンとしては次の通りだ。

①今回の勾留期限は昨日の検事調べから最大10日間であるためあと9日で出る。

②弁護士と接見でき、尽力の末①の最大期限前に出る。

③何も否認せず素直に取り調べを受けているので突然出る。

④最大20日の勾留。

⑤起訴されそのまま拘置所へ。

 

この段階では、①と②が最も現実的だ。被害金額も少なくすべて話しているので、まさか④や⑤にはならないであろう、と考えていた。

だが、先に答えをお知らせしよう。

④である。