人生の転機

日々の事や過去の大きな出来事を綴っていきます。

逮捕~取り調べ

取調室へ連れて行かれ、逮捕状を執行される。

その瞬間より、被疑者となる。

そして、手錠をかけられ逃走防止の腰縄もつけられる。

それまでのどこかのんきだった気分は一瞬にして消え去り、

どこか現実ではない部分も感じながらも取り調べは開始された。

 

取り調べの担当は、猪木。

勾留中、ずっとそれは変わらなかった。

犯罪にランクをつけてはいけないと思うがあえていうなら、

殺人を10段階の10とすると、私の犯罪は1くらいである。

それもあるのか、猪木は特に威圧的な言動は釈放されるまでなかった。

フレンドリーに近い接遇であったので、その部分では救われた。

 

取り調べ開始はおそらく昼の12時くらい。

昼食が出るのかと若干期待していたが、結局お茶しか出ず。

忘れたのか、最初の食事は夕食となった。

さすがに緊張していたのか、昼食時はそれほどの空腹感はなかったので特に問題はなし。

 

取り調べ室は、刑事課のフロアと隣接というか、デスクが並ぶフロアの端にある感じ。扉はあるものの勾留中の取り調べが3、4回あったが、一度も閉められることはなかった。閉めると監禁とか言い出す奴がいたのかな?

おかげで刑事フロアから丸見えで、時々視線を感じていた。

部屋は3畳ほどの、デスクと椅子が3つあるだけだ。

「吐け!」と顔に近づけるデスクライトもなし。

あるのは調書を入力するノートPCと小型プリンターのみ。

 

取り調べが開始された。

まずは、自分がしたことを「いつ」「どこで」「なぜ」「どうした」を簡素にA4紙1枚に直筆で記す。

たとえばだが・・・

「私は平成99年1月1日に株式会社××から〇〇を△△という理由から盗みました。」という内容をもう少し細かくしたものを記入した。

これの紙面があとになり非常にプラスにもマイナスにも作用するもので、私の場合、「なぜ」の部分を最初から記しておいたことで、のちの裁判で有利とまではいかないが動機という部分では私にプラス(情状酌量)に働いたと思われる。最初の段階でそれを言っておいてよかったと弁護士からも言われた。

逆に言うと、後で供述を変えた場合「最初はこう言ってたじゃないか!」と検事や裁判官に突っ込まれただろう。それくらい重要なものだと、今になってそう思う。

この内容については、刑事のチェックはなく、基本は自分の表現方法で記すことができる。

 

それを書くと、取り調べの開始だ。

事件の核心などではなく、まずは生い立ちなどを聞かれる。

いわゆる「身上経歴」だ。どこで生まれ、どこの学校に行き・・・などだが、刑事の資料をちら見すると見覚えのある履歴書が・・・。どうやら、以前働いていた職場が提供したようだ。そのことについてはとやかく言わない。なぜなら、私が犯罪を犯してしまったのが元職場であるからだ。

履歴書あるならそれを見ればいいじゃん、とも思ったが一応本人から聞き取らなければダメなようだ。親の年齢とかすぐわからなかったけど・・・。

要は、私は今まで普通に暮らしていましたよ、という内容なのだが、あらためて文章にするとそれなりに幸せな人生だったな・・・と感じた。

 

さて、この調書類だが、「相棒」等でみられる、いわゆる書記みたいな警官はおらず、

猪木が取り調べを行い、それをリアルタイムでPC入力している。

つまり刑事がPC入力遅いと取り調べも長くなる・・・ということだ。

猪木は比較的ふつうと思われる。

送検するための供述調書のため細かい部分まで聞かれず、本当に骨格だけの供述調書となった。

 

猪木があきれるほど、私はペラペラと供述したので

「こんなに正直に話す人は初めてだ」と褒められ?た。

隠してもしょうがないし、こうなったら1日でも早く釈放されたいという気持ちからだが(この時点では3、4日で出れると思っていた)それもあり前述のとおり猪木たちに対して嫌悪感をいだくような言動は全くなかった。

むしろ「あなたはこんなところにいるべき人ではない」などと、私がきわめて普通の人間であることを証明してくれた。

逮捕後の流れというものを把握していなかったが(逮捕後、48時間以内に送検とか)、「まあ、3、4日我慢すれば・・・」という感覚であったのは本当だ。