人生の転機

日々の事や過去の大きな出来事を綴っていきます。

留置場の仲間たち

逮捕6日目。

今日も何もない日だ。

5番さんに紹介された弁護士は今日も来なかった。体調がすぐれないらしい。

それを知っていたら、もしかしたら国選で進めたかもしれない。

とにかく早く出たい一心から私選弁護士を選任しようとしたが、面会に来ないのではどうしようもない。同時に、両親への直接連絡はできなかったが、どこからかこの状態を聞きつけて、親の方で私選弁護士を雇ってくれているかもしれない、という淡い期待を抱いてもいた。結果的に、両親には逮捕の件は知られずに今に至っている。

なぜ弁護士が必要か?

現時点では容疑者だが、この先、起訴されると被告人になるわけで、そうなると下手したらこのまま拘置所行きもありえる。それだけは避けたいので、弁護士に現状を説明し相手(被害者)に謝罪文を届けたり、検事に保釈をかけあってもらうのが弁護士の役目だ。などと、あたかも自分の意見のように述べているが、刑事事件の流れなどについてアドバイスをもらったのが同室の5番さんからなのだ。

お互い、身バレしてはならないので、5番さんのことや留置場にいた人のことをぼやかしてお伝えしよう。

私にとって何より支えとなったのが5番さんだ。私より年下だが、とてもしっかりしており逮捕前は社長をしていたそうだ。と言っても、クリーンなホワイト企業ではなく、かなりグレーカンパニーで逮捕時は新聞記事にもなったそうだ。5番さんの本名も知っているので釈放後ネット検索をしたがそれほど多くの記事はなかった。いわゆる特殊詐欺系であり、被害額は結構なもんだと聞いた。5番さんと同時に仲間も逮捕されたが、全員別々の警察署に留置されている。口裏を合わせないためだ。それもあり、5番さんは弁護士以外の接見禁止が逮捕後から何か月も続いているそうだ。なぜ長期の留置なのかは伏せておく。とにかく、この留置場に何か月という単位でいるため、いつの間にか留置場の兄貴的存在になったそうだ。また、元々刑事事件の流れについても詳しかったので、新入りが来ると部屋を問わず皆が相談していた。私も不安なことがあると色々と相談に乗ってもらい本当にメンタル的に支えてもらっていた。なんの知識もない人間がこの非日常的な空間に放り込まれると正常な思考は働かず、ましてや次に何をしていいのかさえ分からない日々であるのでこのような存在の人が同じ檻にいたという事実は、今現在でもラッキーであったと思っている。5番さんは私が留置10日目に拘置所へ移送となった。熱い握手と固い抱擁を交わし別れたが、お互いの目に光るものがあった。「お互い、外に出たら会おう」と約束も交わしたが、現時点でまだである。5番さんが釈放されないからだ・・・。

同室になった人は痴漢の人と、後日来た、28番くんだ。彼は元職場に侵入し、現金などを窃盗、しかも同じところに数回とのこと。初犯であるし、被害弁済するとのことであるのでおそらく執行猶予であろうが、意外と彼も長く勾留され私の釈放時にも出られる気配はなかった。今、何をしているんだろう・・・。

他の檻のメンバーは、特殊詐欺・DV・暴行などいろいろな罪状の人間たちであったが、留置場の中という特殊なフィルターがかかっていることもあるだろうが、根っからの悪者という人間はいなかった。おはよう、おやすみなど普通の挨拶はするし、共同生活を乱すような人もいなかった。仲間という呼称はあまりよくないかもしれないが、どうしてもそのような心境になるのは仕方がないとい思われる。

 

さて、そんな中、一人独房の人がいた。どのような事件かは触れないが、間違いなくこれを読んでいるような方であれば知っている事件だ。わりと最近のこと。ざっくり言うと殺人である。その人・・・我々の中で「エース」と呼ばれていた。その罪状に対しての呼称ではなく、彼の独居房No.が1であり、また近年の中でもまれにみる事件であったことからその呼び名であったのだが、話したこともあったことも、ましてや顔を見たこともない。雑居房と独居房は離れており、エースが取り調べで移動するときなどは、出入口が見えないようにドアを閉めるからだ。さすがに彼に対しての親近感はないが、一時的にでも凶悪犯と同じ屋根の下で過ごしたという事実は、たぶん忘れることはないだろう。

面会篇

結局、私は23日間という最大限の延泊をしたのだが、その間に面会が何回かあった。一番多いのはもちろん弁護士であり、2回妻も面会に来たがそのことには触れたくないのでここでは割愛。あとは会社の仲間である。

 

まずは弁護士から。弁護士は24時間いつでも面会可能である。起こされるほうとしたらたまらないが、実際のほかの人は深夜0時ごろの面会があった。私の場合、正確な回数は覚えていないが、5回は弁護士先生が来ていた。向こうからくることもあるし、呼び出したこともある。ちなみにこちらが「会いたくない」と言えば、当然面会はしなくてよい。

まず、最初に弁護士に会えたのは逮捕から1週間は経過していたと思われる。「早く出たいと思ったから私選にしたのに、最初がこんなに遅いのでは国選のほうがよかった・・・」と勾留中なんどか思った。だが、今にしてみれば私選弁護士にしてよかったと思う。もちろん、弁護士の報酬も違うのだが、なにより本気で味方になってくれる。悪いことは悪い部分で反省を促されたが、弁護士も相手側に対し何やらよい感情を持ったらしく「とことんやる!」と変に燃えてしまっていた。私としてはそこまでしなくて、むしろ示談にして被害届を取り下げてもらえれば・・・くらいの感覚であったので、この暴走弁護士には時々困ったこともあった。示談などせず無罪にならなくとも徹底抗戦のスタイルが基本方針の弁護士であったので、実は現時点でも裁判は継続となっている。地裁→高裁→最高裁の順だが、現在、最高裁に上告している。私はもう出廷することはないので、もはや弁護士の意地だけで絶賛裁判中である。

話が逸れたが、弁護士との面会中は刑務官の同席はない。おそらく監視カメラみたいのはあると思われるが、基本はフリーの会話となる。ちなみに、私が完全黙秘していたとして、留置場内で真相をベラベラ話したとしても、それは刑事に伝わることはない。いや、裏でこっそり情報は漏れているだろうが、その内容を元に捜査をしたり取り調べをすることは違法らしい。もし発覚したら、即刻釈放となるようだ。だが、私の場合、なんでも包み隠さず話していたので、別に弁護士との作戦会議を盗聴されても構わない。弁護士と会い、最初にすることは弁護士を選任することだ。その後、外部への連絡も弁護士がしてくれるのだが、いかんせん電話番号などがわからない。こんな時「宅下げ」というシステムを使い、自分のスマホをいったん弁護士預かりにし、面会室のアクリル板越しに操作してもらい、連絡してほしい人の電話番号をメモしてもらった。この段階(逮捕1週間後くらい)では、いまさら両親に伝えるのもアレなので、仕方なく別居中の妻に連絡を取ってもらうこととした。その後2回面会に来たが、内容については割愛。また、相手への謝罪文の添削や検事取り調べ時のNGワードなどの指導を受け、とにかく早く出してほしいと面会毎に訴えたが、はずれの検事にあたってしまったのでいくら弁護士が働きかけても釈放とはならなかった。

現在も裁判中であるため、その他のやり取りは伏せさせていただく。

 

さて、会社仲間の面会であるが、ある日刑務官が「7番面会、〇〇さんと△△さんという人。会う?」とのこと。確かに職場から任意同行されたし、上司にはその際に「新日本警察」と伝えてあるのでたどり着くことができたのである。これが仮に自宅で任意同行されると、もはやその瞬間から行方不明者であり、最悪23日間会社には連絡できないこととなる。家族がいれば連絡してもらえるが、私の場合、連絡せずとも会社の人が面会に来た。面会とはいいつつ、相手が言いたいことはすぐにわかった。退職の意思の確認だ。規定上、逮捕されただけでは解雇はできないらしい、それで困っているようだ。私としては釈放後に同じところで働きたいとは思っていないし、正直なところ職場を変えたい・・・と、やや病んでいたので強がりな言い方ではあるがいい機会であった。会社の人たちは罪について何か聞いたりすることもなく、元気そうで安心したとか言ってくれたことが逆に申し訳なさをアップさせた。釈放されたら挨拶に行こうと思っていたが、結局行けていない。もちろん後ろめたさや申し訳なさはあるが、なによりもうあの職場とは絡みたくないというのが正直なところだ。勝手な言い分であり、不義理とは承知だが、今後も敷居をまたぐことはないであろう。

 

 

留置場の1日<午後>

12:00 昼食

私のいた、新日本警察署の留置場でのこととなるが、実は昼食時が1日のクライマックスとなる。勾留延長(最初の裁判所で勾留請求が認められるとき)となると「自弁」と呼ばれるイベントが解放される。これは自分の所持金の範囲内で月~金曜の昼食を外部発注できるものだ。このイベントが発動されるまでは、食パンが主食となる。なお、所持金がないと当然発注はできず、延々と食パン地獄となる。差し入れとして現金チャージも可能だが、私の場合は逮捕時に現金を所持していたのでその中でやりくりすることができた。ちなみに弁当の発注は前日が基本となっている。からあげ弁当、焼肉弁当、焼き魚弁当、オム焼きそば、かつ丼、カレー弁当がラインナップだった。値段は500円。税込かは忘れた。今食べたらどうとも思わないだろうが、留置されている身からすると、それは豪華な弁当に見え、なにより味付けが娑婆風である。留置場で支給される食事は基本薄めであるので、このどうでもいいただ濃い味付けとボリュームだけの昼食は留置者のオアシスであった。総合点からかつ丼を食べた回数が一番多かった。やはり警察での定番はかつ丼となるのだ。ちなみに、土日祝は弁当は頼めない。

 

13:00~ 虚無の時間

食後に歯磨きをできるわけでもなく、再び時間の流れとの戦いの再開となる。この時間までに小説1冊終了であれば1日はなんとかしのげるが、3冊目に手を出しているとどこかで昼寝などをして調整しなければならない。同室の人が差し入れなどで本の類があるとラッキーだ。本当はダメなのかもしれないが、それを回し読むことも可だ。同室の5番さんは漫画類の差し入れが多かったため、私もご相伴に預かることが結構あった。この時間帯で刑事の取り調べや面会があるとかなり気分転換となる。私の場合、勾留中の刑事取り調べは2回ほどあった。同じ署内の取調室に行って、刑事と調書を作るだけなのだが、檻で漠然と過ごすよりは圧倒的に有意義な時間だ。面会は弁護士接見を除くと、計3回あった。面会についてはまた後日、面会篇にてお伝えしよう。

 

14:30~ 点呼

またもや点呼である。逃げないって言うの。というか逃げられない。感覚だと、この午後の点呼の時が一番うるさいと思う。とにかく刑務官の声がでかいのだ。点呼時間になると、どこからか刑務官がぞろぞろ集まり、人手不足の際は刑事もパーティに加わる。檻の表裏に等間隔に刑務官・刑事が配置完了となると「〇〇〇点検~!」(〇〇〇の部分は毎回聞き取れない)「点検~!(の、全員大合唱)」とシャウトし、それぞれの檻の人数確認作業となる。終了時もまた大声だ。土日はこの時間帯の点呼はない。おそらくシフト上、土日は刑務官が少ないからだと思われる。

朝、昼前、午後、就前の4回が点呼タイムで、最寄の警察署で24時間点灯している階で中の部屋に鉄格子が見えるようなら、そこが留置場であるので耳をすましているとそのような大声が聞こえるかもしれない。ちなみに「運動」の時間で集まるところも、警察署の建物が不自然に外に出っ張ったりしている部分であることが多い。留置場が2Fにあった場合、同じ階の端にぽこっとした空間があればそれだ。警察署の前を通った際には上記のことを少しでも思い出していただけると、留置場に入った人間からするとなんとなくうれしく思う。

 

17:00 夕食

何もないと、ただ食事を待つだけの家畜状態だ。夕食は朝の弁当に1つおかずが増え、なんと味噌汁もつく。と言っても、1人前のワカメ味噌汁パックを必要以上に薄めたようなものだ。色は味噌汁だが、味は目をつむって飲むとほぼ湯であり、具のわかめを探すことも極めて困難である。勾留当初は普通に飲んでいたが、10日を過ぎたころにおかずの中で味噌汁の具に適したものがあるとそれをぶち込んで、プロトタイプ具たくさん味噌汁を作りだした。味の調整は醤油とソースであるが、これが意外とメンタル的にほっとする1品となり、後日檻仲間となる28番君(20歳代前半)にその伝統を引き継いだ。野菜系は最高の具材となり、マカロニなどはそのまま食した。野菜炒めなどがおかずにあれば最高だ。そんなようなことでもしなければ、精神的に落ちていくだけであったので、些細な調理も自分にとってはいろんな意味でプラスとなった。

 

20:00 本回収~就寝準備

20時に朝借りた官本や個人所有の便箋などをすべて返却し、檻の中には何も残さないようにする。実はここからの数十分がそれまで以上に退屈であり、寝るわけにもいかず、私にとっては最も魔の時間となっていた。20時半になると、洗面・布団の用意となるので気がまぎれるが・・・。

洗面・歯磨きタイムはささやかな他者との交流の場である。お互い本名も知らず、ただ同じ時間同じ場所にいるだけで妙な連帯感や親近感が生まれるのも変な話だが、間違いなく仲間意識があったことに間違いはない。

 

21:00 就寝

点呼が終わると就寝だ。電気は消されるものの全消灯ではなく、各檻1本の蛍光灯はこうこうとついたままだ。悪いことに、私が横になっている場所の真上がそれにあたり、やはり気になるため、だいたい寝付くのは23時ごろだった。日中の運動量も少なく、身体的疲労はほぼゼロであるため、心地よく睡眠をとれたことは勾留中ほぼ皆無と言ってよい。

夜間は、10分おきくらいに刑務官の見回りもあるので、神経質なひとは本当に眠れないと思う。そのため、希望者には眠剤が処方されることもあるそうだ。

 

これが新日本警察署の留置場スケジュールである。警察署によって若干の違いはあると思うが、おおむねこのような流れと思われる。一番堪えるのは、やはり外部社会と一切のシャットアウトであろう。面会という形で話すことはできても、自由に情報を得たり、好きなところに自分の意思で行けるということが、どれだけ人間にとって大切であるかを釈放後にあらためて実感した。

 

留置場の1日<午前>

逮捕5日目。

取り調べ、地検、裁判所のイベントが全くないと1日中檻の中で過ごすこととなる。地検、裁判所での拷問椅子での待つ時間も辛いが、単に時間をつぶすということがこれほど苦痛であるとは想像もしなかった。

イベントのなにもない1日をお伝えしよう。

 

6:30 起床~点呼

時間前に刑務官の動きがあわただしくなったり、食事時に敷くゴザが檻の前に置かれるので実際にはその前には覚醒している。やることないから寝ているだけ。

その後、檻の番号順で布団を指定された箇所へ運ぶ。置く場所や置き方も指定されている。いったん檻へ戻り、順次呼ばれ次第、洗顔・洗面となる。昔ながらのステンレス製の横長洗面台に7,8人同時に並ぶことができる。布団を運んだ時や洗面時に他の檻の人とあいさつや会話は可能である。洗顔・歯磨きはよいが、蛇口からの直洗髪は禁止とのこと。水を手にすくって髪を濡らすのはいいらしいが、直洗髪がダメな理由がよくわからない。

檻に戻り、食事用のゴザを敷き、全員洗顔が終わると点呼が開始される。偉い人と数名の刑務官がそれぞれの檻を回り、収容人数・番号を確認するのである。その時はあぐらでもかまわないので座り、両方の手のひらを上にして待つのだ。刑務官が自分たちの前に来ると「〇号室、現在〇名!〇番!「はい」「〇番!」「はい」とやりとりをし儀式終了となる。

7:00 朝食

コンビニ弁当よりはるかに劣る内容の朝食。プラ製の容器に、白米・おかず・漬物が基本で汁物はない。おかずもローテーションのようで、揚げ物→煮物→魚→卵という感じ。後は薄いお茶。醤油とソースは自由に使える。拘留中、極度の空腹というのは感じなかったが、わびしさは毎食ごとに味わった。

7:30 運動/掃除

朝食後は、運動という名の外気を吸える時間がある。およそ15分ほど。廊下の奥からベランダのような場所に出られる。とうぜん周りは壁であり景色は見れない。空だけは金網越しに見ることができる。少し前まではタバコを吸えたそうだが、今は一切禁止。吸わない私にとっては問題なし。名目上運動という時間だが、まじめに体操などをするものはいない。この時間で電動シェーバーでの髭剃りができる。〇立製の安いシェーバーであるため使用後のヒリヒリ感は半端なかった。またこの時間は比較的ゆっくりと他者と交流できる貴重な時間なのだ。私が新日本警察の留置場にいた時、入れ替わりはあったものの常に20人くらいはそこに居を構えていた。何日もいるともはや顔なじみが出来、朝から下らない話や今日のお互いの予定などを伝え合うようになってくる。ここにはかなりの長期組が5,6人おり、それらがここの留置場の中心となっている。一緒に作業をしているとかではないし逮捕時の共犯でもないが、ものすごい連帯感が生まれていた。もはや仲間だ。私もその輪に入れてもらったが、社会と切り離された場所での人間との交流が妙に心強かったと覚えている。さて、運動の場所の人数制限があるので残された檻チームはトイレ掃除と床の掃除機がけだ。それぞれ1セットずつしかないが、運動チームと掃除チームがうまく流れるように刑務官がコントロールしている。ちなみに留置されている半ばくらいで知ったのだが、檻によってトイレが和式・洋式があるとのことであった。私のところは洋式であるが、和式組からは「うらやましい」との声が常々に聞こえてきた。この時代に毎日和式で用を足すのも中々大変だよな・・・と思った。

8:00 入浴

週2~3回の入浴がある。私の時期は2回の時期だった。汗はかかないが、それでも週2ペースだと頭がかゆくてたまらない。1回で4,5名づつの入浴となるが、銭湯を小さくしたような造りで中々快適であった。シャンプー・石鹸は貸してくれる。なにより、浴槽の深さがよい。肩まで浸かるどころか、鼻まで浸かれる。お湯はガンガンかけ流し状態であり、まさに湯水のごとく税金を使っている感じであった。ただし、脱衣所に入室→退室まで15分ルールであり、のんびりはしていられない。それでも浴後のさっぱり感は生き返る気分だった。ちなみにドライヤーなどはない。

運動・入浴後にはその日に読むことができる本を3冊選ぶことができる。移動式のワゴンに並べられた本はおそらく先輩などが置いて本なのであろう。7割が新書・文庫の小説であり、漫画や雑誌類はほぼない。ここでの本の選択はかなり重要だ。しょうもないネタ系の本を選んでしまうと、下手すると10分ほどで読み終えてしまい、その後の膨大な時間を持て余してしまう。ちなみ、本の追加やチェンジはきかない。1日3冊なのだ。普段から積極的に小説などは読んでいなかったが、読書自体は嫌いではないのでこの機会に色々と読んでみた。宮部みゆき東野圭吾は名前は知っていたが全く読んだことがなかったので、それぞれ3冊ほど読んだ。中でも高野和明の「13階段」はかなり引き込まれてしまった。檻に戻り何をしてもかまわない時間となる。

9:30 点呼

外出系のイベントがなければ、留置場での次の出来事は点呼だ。この時間での点呼は順送された人達と残った人達をあらためて確認する意味もあるのであろう。

点呼後から昼食までは寝ていようが、本を読んでいようが何をしても大丈夫だが、当然定期的な見回りは来るし、自分の服や本を枕にして寝ることだけは禁止であった。

本を読んだり、居眠りしたり、5番さんと話をしたりして午前中は終わる。

裁判所①

逮捕4日目。

一般的に勾留質問と呼ばれる、裁判所でのイベントがある日だ。

1日の流れとしては、前日の検事取り調べと相違はほぼない。

朝食後に集められ、地検に行く人と同乗してまずは全員が同行室へ連行。

裁判所へ行く人はまとめられ、一旦檻に入れられる。

30分しないうちに、今度は裁判所へ移動となる。

当然、手錠・数珠つなぎで、再度車に乗る。

地検から裁判所まで歩いて5分くらいなのだが、さすがにそんな行列させられないので、短距離だが車移動だ。

 

裁判所に着くと地下駐車場に車は停まり、裁判所の同行室へ連行される。

この日は10人程。説明によると、検事取り調べ同様、一人づつ呼ばれ順番はわからん。私語厳禁。全員終わるまで同行室で待機という例の掟だ。

裁判所に到着したのが10時ごろ。帰りは警察署直ではなく、また地検で合流後に警察に戻るとのことだ。効率を求めたからであろうが、もはやモノ扱いだ。

 

さて、裁判官に呼ばれるまでは「全部話しています」「二度としません」「反省してます」をキーワードに、従順な自分をアピールするセリフを考えることとした。いつ呼ばれるかは不明であるため到着後より全力で思考するが、昼食タイム(地検と同様、食パンランチ)になったので一旦検討を中止する。食パンにジャム類を塗ろうとしたときに呼ばれる。「え~、何このタイミング~」という感じ。

呼ばれた所はいわゆる法廷のような造りではなく、検事室のような部屋。でかい机の奥にとっちゃん坊やのような小さい若めの裁判官。90度右に秘書らしき女性が座っている。さて、聞かれたことと言えば「~の件に関して認めますか?」だけ。当然「はい」。そこで、熱く弁明できるような雰囲気や時間はなく、このまま勾留するかどうかはのちほど知らせるということと、もし勾留となったらどこか1件だけ連絡をしてあげるとのこと。ただし、この場で誰かということと電話番号を伝えなければならない。

私は両親とは離れて暮らしており、疎遠とまでは言わないが日常的にガンガン電話をするタイプでもなく、さらに電話番号も覚えているとは言い難い状況であった。だが、記憶になんとなくある電話番号と相手は両親であることを裁判官に伝えた。ここで妻の番号を覚えていたとしても選択はしなかったであろう。この状況は何となく知っているであろうが、助けなどを求めることはしたくなかった。さらに妻から私の両親に連絡をする確率もほぼゼロであるため、ここは両親への連絡希望の一択だ。連絡はこの場でしてもらえるのではなく、勾留決定したら留置場の刑務官からされるとのこと。そんな電話が両親が受けたらと想像すると申し訳ない気分にいっぱいになった。

15時ごろ、全員の審判は終了し地検の同行室に戻る。ほどなくして刑務官が檻の前に立ち、裁判所組がひとりひとり呼ばれ、紙を見ながらごにょごにょ話をしている。基本は「勾留決定」「証拠隠滅」「逃亡のおそれ」の3点セットを伝えられているようだ。私も呼ばれ、はかない夢は消えうせ、3点セットのお言葉いただく。

予想はしていたが、お泊り延長だ。だが、今日で帰宅できるかも・・・と考えていたのも事実である。それなりに落胆はした。

 

新日本警察署に戻り、5番さんに報告。慰められると同時に、お願いしていた弁護士の件について話す。実は逮捕2日目の段階で「早く出たければ国選より私選」と教えられていたので、5番さんと同じ弁護士さんをお願いしようと思っていたのだが、送検までに会えず、なおかつどうやら風邪をひいているとのことで、しばらく無理そうとのこと。

さて、これで最低でもあと9日はここにいることとなった。今後考えられるパターンとしては次の通りだ。

①今回の勾留期限は昨日の検事調べから最大10日間であるためあと9日で出る。

②弁護士と接見でき、尽力の末①の最大期限前に出る。

③何も否認せず素直に取り調べを受けているので突然出る。

④最大20日の勾留。

⑤起訴されそのまま拘置所へ。

 

この段階では、①と②が最も現実的だ。被害金額も少なくすべて話しているので、まさか④や⑤にはならないであろう、と考えていた。

だが、先に答えをお知らせしよう。

④である。

検察庁①

逮捕3日目。

今日は検察に行き、検事の取り調べを受ける日だ。

 

朝8時半くらいに呼ばれ、お出かけの支度。

別に何を持っていくわけでもないが、ボディチェック後、手錠をかけられ、腰縄をつけられる。複数人の場合は数珠つなぎとなる。

新日本警察署は検察・裁判所の近隣にあり、護送車もいろいろな警察署を回ってきて最後となるためだいたい9時くらいの出発となる。遠方の、特に1番最初に回る警察署は8時くらいには出発するそうだ。立地面は恵まれていたと思う。

9時ごろ、護送車が到着すると遠くから「到着~」と叫び声。同時に留置場の扉が開き、この日は3人パーティで階段を降りていく。ちなみに【盗賊】【盗賊】【暴行】のバランスの悪いパーティである。

「7番しんけん!」と送り出され「真剣?そりゃあいつでも真剣だよ!」と言い返したかったが、どうやら「新件」らしい。新しい案件という意味であろう。ちなみに検察に行く時が「順送」帰りが「逆送」という。勾留中、変な専門用語だけはたくさん覚えた。

警察署の裏手に護送車がいるのだが、そこには10人以上の警官がずらりといた。後で聞いた話だが、護送車に乗り込むときに逃走した奴が以前いたらしく、それ以来厳重な警備になったとのこと。その中には、猪木刑事もいた。軽く会釈。

護送車に乗り込むと、なんというか、新日本警察の勾留メンバーとは空気感の違う連中ばかりが乗っていた。私が勾留中に知り合った人たちは、どこか明るく、陰鬱な犯罪者という感じは全くしなかった。バカ話ばかりで、ある種仲間意識も芽生えるくらい気のいい連中だった。しかし、どこの警察署から来たかは知らないが、一見して「ワル」「変態」など、申し訳ないが犯罪者にふさわしい風体の人間ばかりであった。

 

護送車内は私語厳禁である。警察署から出て5分ほどで検察につくため苦にはならないが、窓の外は普段からなじみのある風景である。いつも見ていた、ビル・コンビニや何気ない出勤・通学の風景、まさか護送車の中からみる日が来るとは思ってもみなかった。

車は検察に到着し、地下駐車場へ入っていく。車内で全員に付け替えられた紐は手錠の真ん中の輪っか部分を通されている。手錠のこの部品がそのような役割であるとは知る由もなかった。下車するたびに「1」「2」「3」とやたらでかい声で威嚇するように我々をカウントする。何度も言うが、この時点では有罪も無罪もない状態の人間たちなのである。それなのにこの扱いは、権力に屈服させ、無実の人間でさえ犯行を自白してしまう力を感じた。気の弱い人間であれば耐えられないであろう。

地下道を進み、やがて「バイオハザード」に出てきそうな鉄条網の扉が立ちはだかる。中の警官がこちらを確認した上で扉をあける。ここをくぐるときも数珠つなぎで当然大声カウントもある。ここは検察庁の地下室で「同行室」と呼ばれる場所である。ここにいったん集められ、上階の検事の部屋に呼ばれるまで待機するところだ。そこはまさにコントで見かける牢屋のつくりで、部屋の両側に噂の固い木の椅子・・・椅子というか見るからに固そうな板が座面と背面にそそり立っている。ランダムに牢屋に振り分けられる我々。1室8人定員だが、今日は6人なのでぎゅうぎゅうではない。とはいえ、板に座りどうやら検事から呼ばれているとき以外は私語も禁止でただひたすら待つだけらしい。現時刻9:30、帰りは15:30くらいとのこと。パートさんの勤務時間ですか?というくらいだ。検事との話はおよそ30分くらいなので、5時間半は座っていることになる。痔じゃなくて本当よかった・・・。

 

さて、同行室だが、8人定員の牢屋が10室以上はあった。定員換算で言えば、100人は収容できるだろう。この日は満員ではないが、おそらく60人は閉じ込められている感じ。10時くらいから「〇〇8番!」と呼ばれる始める。〇〇の部分は、その警察署名だ。つまり私が呼ばれるときは「新日本7番」となる。ただしいつ呼ばれるかはまったくわからないのだ。ひたすら待つだけ。寝ていてもいいが、ただでさえ運動量が少ないので夜に寝れなくなる恐れがあるのでなるべく寝ないで待ってみた。暇なので、検事に呼び出される人たちを観察することにした。見るからにチンピラ、絶対性犯罪者、ちょっと頭が・・・など、いろいろだ。そして、10人に1人は外国人だ。同室のアジア系の男性は、突然号泣したりで最初はちょっと面白かったが、まあ、異国の地で逮捕されたんじゃ不安だよなと同情しつつも、それが30分おきだったのでだんだんうざくなってきた。

時計が全くないため、誰かが警官(なのか?)に聞かなければまったくわからないが、むしろその方が時計を見ることで絶望するよりはよかったかもしれない。とにかく尻が痛いのも辛いが、時間の経過がこれほど辛いと思ったこともない。留置場にいるほうがどれだけ天国か。私は拘留期間中、計4回検事取り調べがあったが、2回目くらいから「脳内カラオケ」を実践した。ただ頭の中で歌うだけなのだが、通常の歌では5分弱で終了してしまうので、主に歌ったのはXJAPANの「ARTOFLIFE」だ。ピアノソロを含めると30分ほどの大作だが、さすがにピアノソロを脳内プレイするのは悲しいのでソロカット版を採用した。それでも20分弱ある。イントロから演奏、もちろんボーカルを脳内プレイするのだ。しかし、この曲、AメロBメロサビなどが正直ハッキリとしない。発表以来、約25年聞き続けいていると言っても過言ではない曲なのだが、脳内プレイをしていると変なループをしてしまい中々先に進まないのだ。話が逸れてしまったが、この脳内カラオケのおかげで、少なくとも1曲20分弱はほかのことを考えずプレイに没頭できるのだ。

 

新件取り調べは11時50分くらいに呼ばれた。「あれ、昼食は?」と不安に感じるスタート時間だ。牢屋から出され、手錠確認、腰ひも装着の上、警官一人に背後につかれ歩いていく。地下からエレベーターに乗り、4Fか5Fで降りた。オフィスのようなつくりの建物内を指示通り歩き、馬場検事の部屋に通される。中もオフィスそのもので、やたらでかい机の向こう側に馬場検事が横に鶴田事務官が座っていた。座れというので座る。警官は後ろに待機。当然、腰縄を握ったままだ。

名前・住所など告げ、刑事が作成した調書を元に今回の事件について合っているかを聞かれたので、間違いないと答える。以上。

「え?こう、弁明とかそういう機会は?」と言いそうになったが、馬場検事は先に「まだ聞きたいことがあるので何度か来てもらいます」とのこと。2泊3日コースはいったい・・・。でも、明日の裁判所での勾留質問で釈放となる可能性もあるからまだ望みはあるのだ。釈放され、在宅での取り調べもあるだろう。そんな考えだったので、この時も割と、ああそうという感じだった。初回は20分ほどで終了し、下に戻ると、他のやつは食事終わったから別の牢屋で一人で食え、とのこと。いや、むしろありがとうございますだ。しかし、食パン4枚にジャム類3種、棒チーズ1本、パックジュースと白湯とはこれ如何に?ごみの関係もあるのだろうがこのお粗末さ。ゴーンさんもこれと同じなのだ。ひどすぎ。留置場にいても食パンなのだが、おかずがつく分まだまし。

 

食後は元の牢屋に戻り、後はひたすら全員が取り調べ終了となるのを待つのだ。自分が終わったから帰りますとか、近いし逃げないので署に戻りますは許されない。ひたすら待つこと15時半、ようやく戻れる兆しが。護送車のコースごとに連れ出され、身体検査され、手錠・腰縄・数珠つなぎとなり乗車となる。帰るとなればウキウキだ。そして帰りは1番目なので16時には留置場に戻る。逮捕3日目にしてわが家感が半端ない。尻が痛いとか食パン地獄だとか、5番さんとおしゃべりしてストレス発散。

明日は裁判所に呼ばれ、検事の勾留請求について勾留質問がある。聞くと、裁判所も板地獄なのだとか。当然食パンもセットだ。気が重い・・・。

 

 

 

留置場①

留置場での初めての朝、逮捕2日目だ。

昨夜の「ベホマ」効果と5番さんから今後の流れを聞いていたおかげでわりと安心した朝を迎えた。当然ながら、このような場所での生活は初めてであり、ルールやこれからのことなどはほぼ無知だ。

 

このようなブログを読まれている方はご存知であろうが、逮捕後は時間制限というか日程的に決まっていることがあり、それすらハッキリと知らなかった私であったが、昨夜のうちにこの2、3日のスケジュールを聞いていたのでグッスリ眠れたのも大きかったし、何より「2、3日で出れるかも」という呪文がなにより私にとってのHP回復剤となっていた。

この「2、3日で出れるかも」の根拠であるが①初犯②被害金額が微々たるもの③否認せずすべて認めている、などのことからであるが、私としても希望的観測もあるがそうであろうと思っていた。言い方は悪いが、それくらいの事件だし、長引く理由も全くないからだ。この時点で心配だったのは、職場への言い訳くらいであり、本当に気楽でいたのは間違いない。

5番さんによると今日は「何もない1日」らしい。刑事から取り調べがなければ、ただ留置場で過ごす1日のようだ。要は刑事が送検するための書類を作る日のとのこと。そんなこともあり、ならのんびり過ごそうと5番さんといろいろな話をして過ごした。ちなみに13番さんは裁判所へ朝から出かけている。彼の罪は痴漢。電車内でおしりを触り逮捕されたらしい。しかも再犯。25歳くらいでそのような性癖・・・一生治らないんだろうなと思った。前回は示談にしたらしく、今回もご両親が動いたようでそのようにするらしい。とはいえ、昨日送検されているので今日は裁判所で勾留質問の日。ほぼ100%勾留されるとのことである。要は2泊3日で釈放されることはほぼないとのだが、それでも自分自身のことは楽観視していた。痴漢に比べれば・・・という考えからである。

13番さんは夕方戻り、その場での釈放はなかった。彼は少しへこんでいたが、申し訳ないが仲間が減るのは若干さびしかったので「おかえり」だ。就寝時間まで、彼の性癖について5番さんといろいろ詰問した。結論として、どうやらそういうスリリングな環境でないと興奮しない変態野郎となった。ご両親も大変だな・・・。

 

その夜、22時くらいだろうか・・・突然「13番、釈放」と刑務官からの発言。

どうやら、示談が成立したらしい。時間とか関係なく、このようなことはあるみたいだ。いいな~と思いつつ、もう2度するなよ、と年長2人からの激励を受け彼は布団を片付けて旅立っていった。

 

そのような事実を目の当たりにしたのだから、当然、次は自分!と思うのは仕方がないことだ。「2泊3日コース、あるじゃんww」と考えていたが、彼の場合は「示談」が成立したからであり、私の場合は被害者が被害届を取り下げなければ「2泊3日」はありえないのだが、なんだかすぐに出る気満々であった。

 

明日は送検と呼ばれるイベントだ。検事に呼ばれ逮捕事実などを確認されるようだ。